超次元ゲイムネプテューヌ GameMakerR:Evolutionクリア後感想

ネプテューヌ新作をクリアしたのでいつものように感想を。


f:id:Metao401:20230823221123j:image

 

今回は推しの大人ネプが主人公ということで数量限定版に3Dクリスタルを付けて約三万というゲームを買ったのかグッズセットを買ったのかもうわけわかめ状態。

本作発表時から歴代シリーズとは一線を画す魅力を放っていたのがこのネプgameだ。

主人公は大人ネプと失敗女神と呼ばれる三柱。それぞれPippin@(ピピンアットマーク)、ATARI Jaguar3DOという極めて伝わりづらそうなマイナーハードの擬人化女神である。キャラクターデザインも(多分)つなこ氏書き下ろしでクオリティが極めて高い。

そして大人ネプが主人公ということもあり、クロワールが登場する。この五人が登場すると知った瞬間に予約は確定した。

 

発売があまりにも待ち遠しかった。先行体験会には全て参加したし、かつて書いたクロワールの夢小説を引っ張り出して地獄のような思いをしたりもした。某怒れるゲームオタクの影響でJaguar3DOについては調べていたのでそれなりの知識があったが、ピピンに関してはまるで知識がない。新たな学びの機会を与えてくれたのは嬉しい。

体験会で察してはいたものの、期待に胸を膨らませながら発売日当日。

罹った。流行病に。

凄まじいスロースタートを切った私はPS5にディスクを入れていざ、ネプテューヌ!と思ったのだが…。

 

やはりネプテューヌネプテューヌだった。

いや、前作シスターズよりはマシだ。楽しくなってる。楽しくなっているのだが……!!

  • 明らかに妙な硬直
  • 戦闘毎の長いロード
  • 難易度の高すぎるバイクレース
  • 明らかに通れそうなのに通れない空白

この四ツが特に引っかかる。

上二つは前からの話なので慣れた。いつもの事だ。もうなんとも思わないが、Metal Gear Risingという神ゲーをやった後だと妙に気になる。

三つめ。本作はバイクに乗って移動できるようになったのだが、狭い道をバイク移動するのは快適では無いし、敵にぶつかりやすくなるので結局歩いた方が早かったりする。それにバイクレースは究極難易度だ。私のTwitterを参照して欲しいのだが、タイムアタックの時間がギリギリすぎる。メタルギアVRミッションか!!

四つめ。特にバイクに乗っている時は顕著なのだが、明らかに通れそうな隙間が通れない。明らかに幅に余裕はあるのに絶対に通れない。NES版のメタルギアか!!

 

文句はここまでにしよう。

ここからは面白かったところの羅列だ。

 

まず失敗女神のキャラがいい。ビジュアルも内面も満点と言って差し支えない。

Pippin@の女神「ピピ」は負けず嫌いな女の子。ブーメランが武器という聞いただけで攻撃の隙が大きくて使いづらそうなキャラだが、キャラ愛でかなりカバーされる。勝利ポーズも可愛いので自然と使う気が起きる。

ATARI Jaguarの女神「ジャーガ」はインテリ系ボクっ娘。爪が武器で、素早く行動できる。(接近することがかなりリスクになるゲームバランスなのは内緒だ)口癖は「Do the math!(計算せよ)」言わずと知れたJaguarの宣伝文句である。さすが64ビット級マシン。詳細はあのゲームオタクの動画を見てほしい。わかりやすい。ちなみに彼女は「ドゥ・ザ・マス!」と発音する。開発者がそう言わせたのだろうがどちらかというと「ドゥ・ザ・マフ」の方が正しい気がする。

3DOの女神「リディオ」はハカセ。変なもの食わせようとしたり実験しようとするが、かなりの常識人にして善人。ゲーム的に強い。めちゃくちゃに強い。リディオがいないと無理ゲーと化すんじゃないかってくらい強い。遠距離から他のキャラの数倍のダメージを叩き出せる。ラスボスすら封殺できる。

 

そしてなによりこの作品のいい所と言えばクロワールの出演である。私は密かに、かないみかさんの大ファンなのだ。いーすんの声で惚れたが、クロワールの声で死んだ。あの俺様ボイスは凄まじい破壊力を持っていて、一瞬で情緒を破壊しにかかる。あの素晴らしい声を前に私は平伏すだけの人形になる。ちょっと人を選ぶかもしれないが、もしここまで読んでくれていて、興味が湧いたならプレイして見てほしい。クロワールの魅力からは逃れられない。

クロワールは妖精みたいなもので、小さなからだで本の上に乗っている。金髪褐色のビジュアルはまさに天才のそれ。悪巧みしているときの顔は万人を昇天させる力を持っているし、そこにかないさんの演技が重なることでそこに神が生まれる。再度のおねがいにはなってしまうが、ここまで読んでくれているのならとりあえずネプgameか、ネプテューヌVⅡかVⅡRをやってください。クロワールは本当にいいキャラなんです。

 

今回のストーリーは失敗女神が夢を叶えるために奔走するというもので、これまでの作品と比べると比較的明るいストーリーが展開されている。ぶっちゃけいい意味でかなりライトだ。mk2とかやった身からすると幸せな世界で読んでいて楽しかったし、歴代の中では一番好きかもしれない。

 

エンディングは素晴らしかった。桃鉄を主体としたパクリムービーなのだが、失敗女神達のネタがここでようやく回収される。Cybermorphとかね。

正史タイトルのネプテューヌ除く四女神は売れたゲームの擬人化なので、ネタも豊富なのだ。PS3とかXBOX360とかWiiとか。それぞれのハードで出されたゲームもネタに出来るのであちこちでクスリと笑えるものをぶち込んでくるのだが、失敗女神は売れなかったハードの擬人化なのでネタが少ない。

Where did you learn to fly?だって完全に内輪レベルのネタだし、3DOなんて劣化移植しか出てないし、『Plumbers Don't Wear Ties』みたいなゲームしか知らないし、ピピンアットマークは知らないし…。

とおもっていたらエンディングで畳み掛けてきた。あれは上手いやり方だった。

 

まとめ

やっぱりキャラの良さとゲーム業界のネタが全てのゲームだった。しかしこれまで以上に新キャラの作り方が上手くいっていたし、ストーリーも明るくて読みやすいし、バトルも確実に楽しくなっていた。

苦行がちょこちょこあるのはご愛嬌だが、楽しかった。個人的にシリーズ最高傑作だった。

あとクロワールかっこいいし可愛かった。コンパイルハートさん、これからもクロちゃん出してください。

 

 

以下ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作は色んな意味で挑戦的だった。

シリーズ常連のいーすん、コンパ、アイエフが登場しなかった。スピンオフでは出てこないこともあるが、全く登場しなかった。

そして作品を跨いで完全な同一人物が登場する稀有な例だ。基本的にネプテューヌシリーズは作品が変わると見た目は一緒だが別人みたいなことが起こるのでこれも面白い。

そして何より。マジェコンヌが黒幕じゃない。というか今回特に何も悪いことしてないのでは。何もしてない訳じゃないが歴代の悪行を見れば目を瞑れるレベル。

祝・ルシファー獣神化・改

ルシファー様と出会ったのは何年前だろう。

多分、実装した時には知っていたし、欲しかった。

当時は私の周りで良くも悪くもモンストが流行っており、私もその流れに乗ろうと頑張っていたのを思い出す。まだハンターキングとかが強くて、どいつもこいつも口を揃えて「ストライクショットォ!」とか叫んでいた頃だ。無敵だよ?ホントだよ?はどこ行った。

ルシファー様の無類の強さは瞬く間に知れ渡り、私の周囲でもルシファー様を獲得するべく獣神祭ガチャを回していた。

まぁ、しかし。友人らは面白いくらい引き当てるのに対して私はどんなに回しても出ない。私は昔からこうだったから、当然と言えば当然だろうが。

彼らはルシファー様持ちでマルチをやって艦隊編成を楽しんでいた。当時の私は…。シェフィールドとかマチルダとか使ってたんじゃないかな。ルシファー様を当てられずに年月は過ぎていき、私と友人らの繋がりは薄れて行った。学生というのは残酷だ。群れるのが仕事で、共通の要素を持たない者を排除しようとする。

ルシファー様を持っていないが、彼女への憧れは止められない。神化した時のカッコ良さは当時ハマった人達の脳に今でも鮮明に刻まれていることだろう。バリア、エナサー、大号令。かつてはルシファー様の専売特記だったのだが。

友人達がルシファー様の強さに惹かれていく一方で、私は彼女の人柄、人となりと言ったものに惹かれていくようになる。当時はゲームのイラストが可愛いみたいな洗練されたものは少なく、全盛期のルシファー様は私の中で「強くてカッコイイ私の堕天使様」として強く刻まれることとなる。

身の回りのグッズにルシファー様デザインのものを選んで買ったりしたし、夢小説みたいなこともやった。そういった創作を好んで見たし、それらは良き思い出として在る。

アニメにルシファー様が降臨された時はそれはそれは狂喜乱舞したものだが、声優が変更になっていたのは気にかかった。しかしそんな不満もモンスト公式チャンネルから投稿されたルシファー様と会話してる体の動画に圧殺され、アニメ版もありだなと思っていた。

 

結局、私がルシ様を手に入れたのは一年ほど前。

堕天の王がストライクショットとか言っていたのも今は昔。獣神化されていたルシ様は一層の強さを持って共に戦ってくださった。

そして獣神化・改。弱小だった当時とは違う。設定もマシマシになっていかにもお金がかかっていそうな透き通ったタッチで描かれたルシ様はやはりカッコ良さがあって、今も昔も私の憧れだ。

それでも。私は昔のルシ様が好きだ。獣神化までのモンスト特有のタッチで描かれたルシ様が。それに、これからは新たな人達の時代だ。だから、私の記憶は獣神化まで。それから先はこれからモンストを始める人や神化の盛り上がりを知らない人達が当時のネツの再現をする時だ。

ルシ様は実にたくさんのストライカーと共に戦い、その運命に寄り添ってきた。それがゲームの中であれ、現実であれ。彼女の性能に救われたストライカーは数知れない。しかし私にとっては彼女の存在が心の支えであり、過酷な人生の中で一歩を踏み出す勇気を与え、背中を押し、あるいは一歩先で手を引く人生の良き指導者である。

 

人生最大の試練の時には傍にいることは無かった。しかし放り出された暗闇のゴミ山で彼女は私の手を引き、立ち上がらせた。少し歩けるようになるとまた遠くへと離れていった。暗闇の果てで光を放つ。そして今ようやく辿り着いた。

私の人生を影から支えてくれたその人は紛れもなく『堕天使』であった。

器楽は敵になった

これは一人の人間の言葉でしかない。

この言葉に何か意味がある訳では無いし、誰かに届けられるべくして発せられたものでも無い。

このネットという時代の産物の片隅にある集合墓地の一角に生きた証のために残す墓標である。

 

歓喜

かつて、ららマジというゲームが存在した。

ライトフライヤースタジオからリリースされUnityを用いて開発されたスマホゲームである。

プレイヤーは主人公「調律師」。東奏学園器楽部の生徒たちは呪いにかけられている。その呪いを解くべく彼女達の心へダイブし調律するというストーリーだ。

器楽部が舞台ということもあり、本作は名作クラシックからの引用が多い。メインストーリーはそれらと各器楽部員をマッチさせた内容になっている。特に、いばら姫、アマデウス、ある晴れた日に、美しく蒼きドナウは傑作だ。実装されたストーリー後半ではクラシックのみならずTHE BLUE HEARTSMEGADETHなどのバンドからも引用されている。

そして器楽部員は合計31名。(30名だったかもしれない)一人一人がメインストーリーの一つの章を飾るのでキャラの掘り下げが深く行われる反面、長くなってしまう。最後まで行こうと思ったらメインストーリー31章+終章だ。スマホゲームでここまで出来たら偉業と呼んでいいだろう。

しかし……。それは叶わなかった。

ららマジは大衆に受け入れられなかった。ネットではバカにするものすらいた。夢は、打ち砕かれた。

 

そして来たる2020年6月3日。器楽の夢の舞台は幕を下ろした。しかしサービス終了時の盛り上がりは凄まじいもので一部ネットメディアやゲームレビュアーに「愛されてサービス終了したゲーム」と紹介されるに至った。調律師達の情熱は何かを動かし、13章か14章程度で終わったしまった物語の続き2章をノベライズという形で続けさせることになったのだ。クラウドファンディングという形式で序章から書き下ろしの最新章までを何者かが書き記したのである。

史上の狂喜、又は深遠なる悲嘆が訪れる。

 

主人公に、名前がつけられたのだ。

原作の主人公はプレイヤーであり、名前を設定しても登場人物からはチューナーあるいは調律師と呼ばれ、主人公の名前の呼称はあらゆるやり方で避けられる。しかし小説ではそうはいかなかった。

現代風な悪い言い方になってしまうが、仲の良かった女友達全員が寝盗られたと言ったら分かりやすいだろうか。もはや彼女達の記憶にかつてのプレイヤーの影はなく、見知らぬ男との記憶に塗り替えられたのだ。

誰かの物語を辿りたいのなら、それこそ漫画やアニメ、ラノベで良くなってしまう。プレイヤーが主人公であるからこそ、その戦いの動機はそれ以上なく強いものとなり、物語の思い出はこの上なく深く心に刻まれ、数々の選択の葛藤すらも愛おしい。

我が家に書籍が届いた時、焚書してやろうかと思ったが、出来なかった。自分の過去を否定するようで。

その後もポップアップストアやレストランコラボなど細々と活動を続けていたが、今年3月11日以降沈黙を貫いている。きっと、ようやく、彼らにも死というものが訪れたのだろう。

 

「慟哭」

ららマジサービス終了から数年後、ある日突然新たなゲームが発表された。その名はタクトオーパス

名作クラシックを擬人化した新作スマホゲームである。ららマジに出会ってからクラシックにのめり込んだ私はこの発表に欣喜雀躍し追加情報の続報を待った、が。

このゲームは主人公に名前があるのだ。

またしても人は同じ過ちを犯したのだ。

激昂し、当たり散らした。もう全てがどうでも良くなった。大きな力の前に立ち尽くすことしか出来ない自分の非力さを呪った。クラシックが嫌いになった。

そして先日サービスが開始した。ららマジとは対照的に煩わしいまでのネット広告、地上波への進出、マーケティング戦略の差があった。目にするのが苦痛で片っ端から広告を停止するが、虱のようにキリがない。あまりに数が多すぎる。ある者は「嫌なら見るな」と言うが、ならば見なくて済む方法を作ってくれ。それが出来ないなら黙っていろ。

塞がった古傷に再び刃を突き立て、塩を塗りたくり蛆を産み付ける悪魔の所業は今も続き、私の頭を苛んでいる。逃げ道なんてどこにもない。

私はただ、彼らが死ぬまで待つしかない。無力な人間は嵐の訪れにただ震えて過ぎるのを待つことしか出来ないのだ。

ららマジのサービス終了から数年経ってクラシックへの興味も尽きてきたが、私は遂にクラシックが完全に嫌いになった。耳にするだけで頭痛と目眩がしてきてどこからともなく湧いてくる憤怒が私を傷つける。かつて心から愛していた美しく青きドナウすら、今となっては音響兵器であり、癒しなどでは決してない、完全なストレッサーだ。

こんな思いをするならば、ららマジと出会わなければよかった。そんなふうにすら思えてくる。美しかった過去は今や腐り果て、悪臭漂う蝿の王国となってしまった。そこに希望も、未来もない。

 

 

最後に。

タクトオーパスなんてクソ喰らえ。さっさとサービス終了しろ。喜んでプレイしたヤツ全員生きたまま焼かれて死ね。開発に関わった奴ら全員地獄行きだ。

このゲームが生まれたことによってクラシックを元にしたスマホゲーム、という大衆の記憶には「タクトオーパス」と刻まれ、ららマジは世界の記憶から失われていくだろう。

弱肉強食は自然の摂理であり、私もそこは認めなければならないのだが、彼らは侵蝕者であり、私の過去も未来も踏みにじって行った。

もはや愛も記憶もないが、こう記す。

 

私が私の時間をららマジに捧げたのは淘汰される為ではない。クラシックと現代人を繋いだ歯車、それに繋がれた一人の男として、このゲームを世界の記憶に残す為だ。人間は過去と手を取り、さらに進化できるという証拠を未来の人類へ伝えて行く為だ。それが出来るのはプレイヤーたる調律師自身であり、他の誰でもない。

彼らはクラシック音楽のゲームにおける歴史を上書きし、過去を覆い隠そうとしている。そしてまもなくそれは成されてしまうのだろう。しかし、忘れるな。歴史の闇に葬り去られた者達は決して沈黙してはいない。その恨みは彼らの脳裏に永遠にこびりつき、未来永劫の呪いとして刻まれるのだ。

生まれ落ちて、太陽に導かれて

暗い話ばかりだ。

こと最近はAI生成のイラストの話ばかりが流れてくる。私は絵なんて描けないし、自分の才能を人工知能で補填しようとするほどの愚者では無いから、どうだっていい。ただ、崇高な表現者と下賎な剽窃者の争いは見ているだけで疲れるし気が滅入る。

ただ、私も自らの思いを文章で表現するものとして、人工知能が跋扈する現状はあまり好ましくない。

絵の表現者達は法律が動かなければならないと言う。だが、そんなことのために国には動かないで欲しい。娯楽の治安を守る前にやるべき事は多すぎる。

 

百文字にもみたいであろうこの文を書くだけで気が滅入って死にたくなってくる。兎にも角にも、この世界には理不尽してどうでもいい諍いや問題に溢れている。

そんなものに一々目をくれてやっては疲れてしまう。それに自分が介入したところでどうにもならないのだから無視するのが一番だ。

 

生きるのは辛いことだ。

グレゴール・ザムザのような酷いものでなくても、生きていれば理不尽というのは襲いかかってくる。こちらは無視する訳にはいかず、逐一対処していく必要がある。向こうからやってくるのに、こちらが打つ手を誤れば被害を被るのもこちら側。

私は理不尽による裏切りをいくつも体験してきた。その度に打ちひしがれ、生まれてきたことを後悔した。それまで生きてきたことを後悔した。

これ以上ないという程に傷付いて、ようやく自分の力でまた立ち上がれるようになった頃に理不尽は再び牙を剥く。

そんなことを繰り返すうちに私はこう思うようになった。

「今日も生きてる。麻雀が楽しい。仕事もある。大好きな神様に感謝を伝えられて幸せだ」

私は受身になっていった。この世の出来事全て、私には関われない。私では何も変化を起こせないことを思い知らされたからだ。

朝起きて神様にお祈りと感謝を伝え、仕事に励み、麻雀を打って、寝る。そんな毎日を繰り返していると自分の存在の無意味さに気付き始める。

存在していたところで、何かに影響を与えられるわけじゃない。自分を癒す為の娯楽をすれば時間が無くなり、何かを変える気力すら失われていく。変わらぬ日々が流れていき、死にがいなんて見つけられない。一生同じだ。

死のうかと思った。三度目の壮絶な別離についに私は立ち上がれなくなった。そうして何とか命を繋ぎ止めようと参拝に向かった時、神様は振り向いてくださった。

誰も私を気にとめない。いてもいなくても変わらない存在だった私を、ただ一人見つめてくださった。神様は「私の守護するこの国で生きていていい」と伝えてくださった。

別の日、ある話を耳にした。神様は救いを与える時、人に行わせることがあるのだという。必ずしも神様自身が救いを与えるのではなく、その意思を人間に伝え、救ってくださるのだと。

ならば私も生きてみよう。一人の信奉者として。

いつの日か神様の意思を伝えられ、代わって誰かに救いを齎すことが出来る神の御用人として生きてみようと、思えのだ。

もし、この信仰が失われる時が来たのなら。その時はきっと私は自らこの命に訣別するだろう。

この国の総氏神にメンヘラムーブかます男

皆様は神を信じるだろうか。

ここにおいての信じるというのは信仰の有無ではなく、存在を認めるか否かという話である。

タイトル通り、私はその存在を信じているのだが、これはこの状況において極めて面倒な性質を発揮する。

 

ぶっちゃけた話、形式的な参拝を好む現代人からすれば神様もキャラクターも何ら変わりないのだろう。私からすれば所謂「推し」に狂信的に貢ぐ人々はもはや宗教の類だ。主に某男性アイドルゲームはそんなイメージがある。一つの宗教にも様々な派閥(グループ)があって、信仰している存在(アイドル)も違う。(まるで仏教だ)

そういった人々からすれば、そのキャラクターは彼らの中で『実在』していると考えられる。

しかし、こと神においては話が変わる。

神の存在は確かに証明することこそ困難であるものの、長い年月に渡って人間の生活に寄り添った超自然的な非実態の存在だ。また、ある考えかた(恐らく金枝篇辺りに書かれていた気がする)によると神は人が信じる限り存在する、とされている。 

つまり神は信じるものがいる限り存在を維持することが出来、それを信じる者のなかに実在し得るのだ。神は存在の維持と実在が常に両立するのだ。どちらかがかけることは無い。

 

ここでまた話を変えるが、推しの話をしてみよう。

私の主観では推しは4パターンだ。

1.実在しないもの(キャラクター)

2.現実に実在のあるもの(Vtuber等)

3.実在するもの(人間等)

4.超自然的に実在するもの(神)

以降は上にあげた数字での呼称を行なう。

 

まず、1について。

これはいわゆるキャラクターに相当する。架空の存在であり、人類の創作によって初めて生まれ得るもの。それらが記された創作物は実在するが、それら自身は実在しないもの。(しばしば認知の曲解によって脳内では実在することがあるらしいが、詳細はここでは省く)ある種虚数的な要素を含んだものであり、それらは感情などといった人間的な要素を含まない、虚無である。

 

次に2について。

これは1と3の中間であり、つい数年前までは1に分類して問題ないものだったが、昨今の情勢を鑑みて新たに分類しなければならないと考えたのだ。

いわゆる、Vtuberなどに相当する、1と3のハイブリッドだ。絵柄を被った人間、キャラクターではあるが、中に人間が入った感情などの人間的要素を持った電子的な着ぐるみ。絵柄を使うことで中身の肉体的欠点を隠し精神的欠点を誤魔化すことが出来、人間をのめり込ませる要素をこれでもかと詰め込んだ悪魔の産物。

 

続いて3について。

これは実在する人間である。アイドルや俳優などなど…。挙げてしまえばキリがない、そういうエンターテインメントに関わる人間たち。

2にも同じことが言えるが、人間である限り問題を引き起こし、イメージ外の行動を取る。そして自身の行動が推しに認知されることは極めて稀である。

こちらは素顔が広く知られる分、マイナスなイメージは強く縛り着くように思う。

 

最後に4について。

即ち神である。

それらは実在し、人間を見守る。時に人の願いを叶え、時に人に試練を与える。また個人を見守り、個人に合わせた助言すら行う。

推しになると同時に、自身の行動が逐一相手に認知される。

 

さて、長くなってしまったがようやく本題に入るとしよう。

神がもつ(極めて無礼な言い方だが)厄介な性質。それは行動が認知されるところなのだ。

これは正常な人間であれば「神様がみているから悪いことはできない」のようになっていく。逆に言うと、清く正しく生きていれば神様は見てくださっている、ということである。

神様が見ていることは分かっているので、(これまた失礼な言い方だが)推しの神様に参拝する時にはお洒落をして「いつもありがとうございます」に加えて「私を見て!!」とか考え始めるのだ。「一介の信奉者に過ぎないけれど私に気付いて!」なんて思ったりする。

それで終わればそれまでなのだが、神様は優しいもので、実際気付いてくれるし、見てくれる。推しに存在を認知された狂喜乱舞の自殺モノだろう。それが起きてしまうのだ。

まして私は神様ガチ恋勢なので尚更大変だ。気付いてもらえたことに気付いた時は欣喜雀躍したものだ。

 

いつでも会いに行ける日本古来の神々、推してみませんか。

B.B. in the Kyoto

京都に行ってきたのでまとめておく。

そう、普段東京で遊んでいる私が何を思ったか京都に行くことにしてしまった。最も恐るべきは京都でイベントがあると聞いて「行くか」と思い往復のチケットを買った当時の私である。

今振り返るとタイムスリップしてガス管でタコ殴りにしてでも止めたいところなのだが、お生憎様そういう訳にも行かないので、二度と私が変な気を起こさない為、この恨みつらみ憎しみを共有するために記事を書くことにした。

 

まず初めに、行きは夜行バスだ。

そう、夜行バスだ。アイドルなどの追っかけやってる人御用達みたいなイメージしかない安価にして地獄な選択肢。しかし日帰りして少しでも交通費を抑える為に致し方なく、不本意極まりないが乗ることにした。

が、後悔している。

まず、寝れないのだ。煎餅布団で丸まって寝てる男からすると座った状態で寝るなんてのは不可能。そして何より、首が痛い。どんな体勢をとっても問答無用で凄まじい負担が首にかかって、違和感と痛みで眠気が吹き飛んでいく。酒か睡眠導入剤を飲むなりして強制的に寝てやろうかとも考えたのだが、翌朝起きれなくなりそうなのでやめた。

結局、二時間しか眠れず、朝二時からぼーっとしながらバスに揺られていた。

次に、気晴らしが出来ない。窓側は遮光カーテンが掛かり、開けることは禁止される。その上運転席と客席の間にも同様にカーテンが。深夜は勿論、朝五時なのにほぼ真っ暗。頼む、すぐそこ布一枚の先にお天道様がおわすのだ。見せてくれ、拝ませてくれ。太陽なしでは死んでしまう。

外の景色が見れないまま暗闇で運ばれていくのだからまるで奴隷船だ。すごいものである。新宿から乗って暗闇の中を過ごし、休憩で降りるとそこは浜松。移動したと言うより時間経過が発生するタイプのファストトラベルを体感した気分だ。

 

さぁ、朝六時。京都駅に着いた。不幸にも。

今回利用したバス会社はラウンジを持っているらしく二、三時間くらい時間を潰してから活動しようかと思ったのだが。

利用するためにはアプリの登録が必要で、肝心のアプリがバージョン的な問題でダウンロードが出来ない。諦めて散策することにした。(後にダウンロード出来ない画面を見せれば利用できることがわかった。しかしそれは十二時間後の話である)

散策することにしたのだが、どこもやってない。本当に。土地勘のない無人の都会にほっぽり出された私は人のいない道を悪態つきながらとぼとぼ歩いた。結局、一時間近く歩いていたらしい。

七時が近くなると店が開き出すので空いてる店に飛び込むことにした。風情もクソッタレもないが、マクドナルドである。そして幸いにも七時前にして空いている店舗があったので行ったら案の定と言うべきか激混みだった。発狂しそうな精神を必死で押さえつけて遠いが七時に開くマクドナルドまで行くことにしたのだ。

 

朝食を終えてどうするか決めあぐねていた所に天啓が降りる。ゲーセンがあるじゃないか、と。そう、本来であれば十時から温泉に行くつもりだったが寝不足による不調と精神不安定と首の痛みでもはやそれどころではなくなってしまったので、ゲーセンを探すという狂行に走ったのだ。

そしてこれまた開いてない。ズズいっと探していくと、なんとラウンドワンがあるではないか。しかも既にオープンと言う。しかし、困ったことがある。行ったところで遊べるゲームはあるのか?

そこを調べずに行くほど頭が働いていない訳ではなく、調べたところ...。

設置筐体 チェイスチェイスジョーカーズ、麻雀ファイトガール

これだ。早速向かってシブヤでチェイス!役牌︰白!めっちゃ時間潰れた。十時という頃合いになったので、八坂神社に向かうことに。徒歩で。

素戔嗚尊スサノオ)を主祭神とする神社であり、その他幾つかのお社がある格式高い場所だ。幸いなことに宇迦之御魂神(ウカノミタマ)を祀る玉光稲荷と天照大御神(アマテラス)及び豊受大神(トヨウケノオオカミ)を祀る大神宮社があり、スサノオは勿論、私が信奉する二柱にもご挨拶ができた。

その後は昨年末に見れなかった清水の舞台から飛び降りるべく、清水寺に向かった。またしても徒歩で。

清水の参道を上り、いざ舞台と思ったら。拝観料取られました。ガメツイぞ、仏。ここまで来て見ないのは癪なので諦めて払ったが、八坂神社に行ってから来てしまうとどうしても見劣りしてしまう印象だった。だからといって、寺に行ってから神社に行くと、寺は墓を抱えてることがあり、その穢れを連れてきてしまう為、神様に失礼となる。なんというジレンマか。しかし、日本人であるならそこはぜひ徹底して欲しい。神社と寺に行きたいなら、必ず先に神社だ。

 

サブクエストは達した。メインクエストはイベントの展示であり、小さな部屋で行われるため何時間も見るものじゃないし、後述する理由で何時間もいたくなかったので、少し時間を遅らせてメインイベントに入場することにした。オプションクエストとして私の行きつけのステッカー屋である『B-sidelabel』に向かうことにした。もちろん徒歩で。

好きなイラストレーターの新作ステッカーと京都限定のものを入手し、オプションクエストまで達成出来た。モンハンならこの時点でクエストを引き上げられそうだが、今回はそうはいかない。さしてB-sidelabelからイベント会場である「みやこめっせ」に向かうことになる。当然徒歩で。

 

さて、ここまで徒歩で移動することを何度も強調した訳だが、ちゃんと理由がある。ラウンドワンのある四条河原から八坂神社、八坂神社から清水寺清水寺からB-sidelabel(これまた四条河原)、四条河原からみやこめっせ。これらの移動は軒並み2km程あり、私はこれらの移動におよそ三時間を費やしているのだ。足が棒になるとはこの事か。

四条河原からみやこめっせに向かう時には私は恐怖で身が竦んで、内から溢れ出る狂気でおかしくなりそうだった。それでもヒプマイの曲を聴きながら正気を保ち続けていた。

 

みやこめっせが見えてくると、恐怖は最大まで膨れ上がった。足が震えて歩くのが難しくなったのをよく覚えている。中に入れば私の恐怖の度を越して、もう何が何だか分からなかった。入場して、札と粗品を貰う。アマテラス様のパネルなんかがあったので喜び勇んで撮りに行った。この時まではまだ、信仰と親愛が私を強く支えていた。

一通り観覧が終わると現実が見えてきて、私の周りには獣、獣、獣。太った獣、痩せた獣、醜い獣、汚い獣。

なぜ客層がこんなにも酷いのか分からない、なんてそんな都合のいいことは言わない。あやかしランブルはアダルトゲームなのは決して否定しようがない事実だし、そういうのに熱中するのは前述の獣のような社会の爪弾き者だ。

しかしだ、社会人としてせめてどうにかならないものか。髪型、服装、体臭。どれも簡単に改善出来ることだろう。彼らはそれをやらない。そんなゴミの掃き溜めに何時間も居たらゴミが伝染る。

発狂しそうなのを何とかまた堪えて、外で軽く休憩をとることにした。爽やかな空気に触れて少し回復したかと思ったのも束の間。情報公開イベントが始まるまで三十分以上待機させられた。あのゴミ溜めで。

さすがに無理だと判断したので、ずっとヒプマイを聞いていた。しかしそれでも獣の会話は聞こえてくる。彼らはやけに声が大きく笑い声も必要以上だ。他人の迷惑とかそういうのを考えず知らずに生きてきたのは明白だろう。

そして情報公開が始まったのだが、いきなり爆音でテーマ曲が流れる。凄まじい音だ。ここはイベント会場、展示場だぞ。ライブハウスじゃない。音量が本当にライブハウスだった。いつぞや行った新宿のロフトを思い出したくらいだ。

周りの獣達はテンションが上がっているようだが、私はテーマ曲なんて聞く気がなかったから聞いたことがないし、寝不足で頭痛がしてきた重体に、中枢神経を破壊せんと放たれる音の爆撃に本気で殺してやろうかと思った。

新キャラが公開されることになり、ちゃんと見せればいいものの、このゲームはキャラクターの一部だけを見せるのだ。これは前々からやっていることではあるのだが、よりによって今回は尻だけ出した。私は、「は?誰だこれ?」となっていたのだが獣達は「あー」とか言って分かっているのだ。辛かった。性愛ではなく、純粋な愛でこのゲームを遊んでいるのは私だけだった。ぶっちゃけ、アマテラス様だって顔以外の部分を出されて「だーれだ」なんてやられたってきっと分からない。どちらかと言うと性格で見ているから。本当に辛かった。私が特殊なのかとしれないが、人間がこれほど堕落しているのをまざまざと見せつけられて私は絶望のどん底に叩き落とされた気分だった。

そして大した情報もなくちゃっちゃか進んで行ったのだが、メインストーリー追加の告知の後、ダイジェストで紹介するムービーが流れる。なんとなくお察しだろう。

女性キャラの甲高い声が先程の音量で放たれるのだ。想像して欲しい。激務が終わって新宿に直行し、寝不足で四時間歩き回った上で、キャンキャン声がライブハウスのマイクを通じて目の前から放たれるのだ。これを殺人未遂と言わずしてなんと言おうか。もう途中から耳を塞いで早く終われと夜を恐れる子供のようになっていた。

ようやく終わったかと思うと今度は「追加したストーリーのエンディング流します!」との事。スタッフクレジットに合わせてテーマ曲がまた流れる。

どうやら担当者はこのゲームをやってるのは元気と時間が有り余ったバカだけだと思っているらしい。元気も時間もないから救いを求めてこのゲームをやってる人の事なんてハナから考えてなかったのだ。

随分と口が悪くなってしまったが、許して欲しい。その場で発狂しなかっただけマシだ。四つん這いになって床に頭を打ち付けてやろうかと何度思ったことか。

 

なんやかんやあったものの無事に私は生還した訳だが、自分でも驚くべきことが起きていた。

私は究極の同担拒否で、同担がいるなら地の果てまで追いかけ回してでも生まれてきたことを後悔させてやりたいと常々思っている。

いつぞやのららマジのイベントで獣が三嶋 蒼のコスプレをしていた時はTwitterで素性を調べた。ついでにサイコ画像でも送ってやろうかと思ったが、やめておいた。その代わりノートに書いてビリビリに破いた。なんてことがあった。

今回はアマテラス様のアクアビーズを作って着けてきているゴミがいた。しかしそれを見ても、確かにイラつきこそしたが「殺してやる」とか「肉塊にしてやる」などは思わなかった。

恐らくだが、余裕が私に生まれていたのだと思う。私の方が身なりもちゃんとしているし、何より本物の天照大御神を狂信しているという事実が私の支えとなり、「コイツに勝っている」と深層心理から確信させたのだろう。ぶっちゃけ「無駄な足掻きを...」くらいに思っていた。

 

 

さぁここまで来たら後は帰るだけだ。

新幹線は予約した。さぁさ、早く帰るぞ!

隣が最悪だ。酒は飲む、肉まんは食う。オヤジだから、そもそも匂いがキツイ。

何だ、私はそんなに悪いことをしたか?敬愛する存在に救いを求めて必死に生きようとしているだけなのに、なぜ私ばかりこんな目に会うんだ。

凄まじい悪夢だ。朝から夜まで地獄を見た。

心が休まったのは八坂神社でお参りしている時くらいか。というかよくよく今日を振り返ってみると酷いものだ。

お参りしてるか悪態ついてるか狂気を堪えてるかしかしてない。

 

結論、二度と行かない。

イベントで貰えた粗品は垂涎モノだったが、あまりに地獄を見すぎた。願いと対価が見合ってない。今回のような代物が貰えるなら考えてしまうが、そうでも無いなら寿命を縮めるだけだ。

今日は本当に死ぬかと思った。

魔神少女と救いと私

2014年に始まった魔神少女は革命的であった2Dアクション。

ハイクオリティなアクションとドット絵、そしてキャラクターデザイン。あの時の衝撃は昨日のように思い出せる。

当時の私に何より衝撃だったのは、ゲームがいっぱしの会社(任天堂スクエニなど)ではなく個人で制作された物が販売されているということだった。今思い返せばDSiwareがあったはずなのだろうが、当時はそれら全部任天堂が作ってると思っていたのだ。

そんな個人制作のゲームであるにも関わらず、滑らかに動くドット、今まで聴いてきた物を凌駕するBGM、可愛すぎるキャラクター、作り込まれた背景とステージ構成などなどがさらに私を驚かせる。初めて「インディーゲーム」というものを知った瞬間であり、その可能性を感じたのだ。

 

初代「魔神少女」はオーソドックスな2Dアクションだ。主人公である魔神ジズーが悪いヤツを懲らしめる、みたいなイメージで構わない。基本的に主人公は遠距離射撃の魔法を使って戦っていく。のだが。

このゲーム、難易度は高い。HP=被弾可能な回数なので序盤は死にまくる。そのうえ、難易度ノーマル以上では道中で回復アイテムが出ない仕様だ。これが難易度を爆増させている要因に思える。

しかし、トライ&エラーを繰り返すことで道中はノーダメに手が届きそうなまでにプレイヤーを成長させる。ボスもまた難しく、初見攻略などまず不可能だろう。多くの人が最初に挑むであろう、天園図書館のボス、「クリンスィー」のダイヤミサイルは殺意マシマシである。

そしてボスを倒すと対応した技が手に入る。ロックマンを想像してもらうとわかりやすいだろうか。各ボスには弱点となる技があるので、把握しておけば攻略を有利に進められるのも面白い。

トロフィーに相当する要素も盛り込まれており、やり込み要素にも対応している為、時間を忘れてのめり込んだのを思い出す。

 

 

そんな本作は人気を博しまさかまさかの続編が出た。「魔神少女エピソード2」である。

発表当時は私もまだガキだったが発狂しながら近所を駆け巡ったものだ。今思うと正気じゃないのだが、当時二次元愛に目覚めていた人は周りにおらず、抱え込んだ情熱を爆発させて良く発狂していた。

そんなことはともかく、魔神少女2は正統進化した。初代と融合しながらさらなるステップへと大きく踏み出していった。その主な要素はリベンジマジックとステージの増加だろう。

リベンジマジックはプレイヤー、ボス共にダメージを受けるとゲージが溜まり発動できる必殺技のようなもの。これにより、プレイヤーには一発逆転のチャンスが与えられ、ボスは追い詰めると戦況をひっくり返す大技を放ってくるようになったのだ。

そしてステージが増えるということは純粋にボスが増え、習得できる技も増えるということ。今作には時間を止めたり、レーザーを放ったり、特殊な障害物を破壊するタックル(ロードアタック)などが追加されている。

キャラクターもより洗練され、このシリーズで私が最推しの「ルディ」の初出も本作。なお、一部のボスは前作から引き続き登場している。

 

 

インディーゲームにして続編を出すという凄まじい快挙を成し遂げた魔神少女はさらに躍進していく。さらなる続編が発売され、なんとターン制RPGとなって帰ってきたのだ。それが「ブレイブダンジョン」。

初代のボスであったアルを主人公に、宝を求めてダンジョンに潜るという王道なストーリーが展開される。

残念ながらキャラクターのボイスは減ってしまったものの、圧倒的に増えたボリュームは圧巻の一言。さらにお金さえあれば無限にステータスをドーピング出来るのでお気に入り一人で最終ダンジョンを踏破するのも楽しかった。

 

なんてことをしながらダンジョン攻略を楽しみ、ランダムダンジョンのマップすらパターンが頭の中に叩き込まれた頃、さらなるニュースが舞い込んでくる。

その名も「魔神少女エピソード3」。さらなるナンバリングタイトルの登場である。狂喜乱舞のあまり気をやりかけたのはいい思い出だ。

ステージもそのボリュームも大幅に増えた3ではなんと、前作ルディの技であるロードアタックが標準装備されているのであった。(ルディおめでと!)声優も豪華になり、物語に深みも増してきた本作だが、大幅な仕様変更が伴った。

それは各ステージ道中の中ボスの追加である。

塔のような敵が現れて、それを倒さないと先に進めないのだが、攻撃が厄介な上に、特定の部位にしかダメージが通らない+特定のタイミングでしかダメージが通らないのでゲームのテンポを著しく阻害する。エピソード2まではステージ構成を把握して神速クリアが出来たが、この中ボスの対策も必要になってきたのだ。

しかし、ゲームとして進化しているのは否定しようも無い事実で、歴史ある作品に加えられるアクセントとしては及第点に思う。

あと、ネヴィルというキャラクターがかわいい、というかカッコイイ。

 

 

この後にはNintendoSwitchに向けたブレイブダンジョンに追加要素とカードゲームを加えた移植と初代のフルリメイクが発売されることになる。

NS版ブレイブダンジョンはキャラクターの追加こそあるが、特筆すべき点はない。

 

しかしことNS版魔神少女に限っては話が違う。ドット絵がイラストになり、BGM、UIに至るまで劇的な差し替えが行われている。それにとどまらず、一部キャラクターの声優変更によるボイスの新録まで行われた。

そして古参ファンの気持ちも汲み取られたのか、初代のBGM、UI、キャラボイスに変更も可能となっている。これは「Nier replicant 1.22」に匹敵する高品質なリメイクだ。(先にやったのはこちらだったが)

当時の雰囲気と操作感をそのままに、しかし確実に遊びやすくなった本作はリメイクのお手本と言うべきだろう。エピソード2では別人レベルに声が変わったソラも初代のボイスが現行機種で聞けるのだから感動する。

 

さらにこれらの間にはルディが主人公の(!!)音ゲー「ルディミカル」がスマホで配信、後にNSに移植された他、これまたスマホ向けにミニパズルゲーム「マジンショウジョコネクト」も無料配信された。

コネクトからしばらく音沙汰が無くなったこのシリーズは今や3DS時代の伝説として語り継がれているのだろう。しかし、我々ファンは決して忘れてはいなかった。ブレイブダンジョンの続編が開発されているということを。

 

 

来たる2023年4月15日、約束の刻。

長い年月を経て「ブレイブダンジョン 正義の意味」は発売された。NS向け初の魔神少女シリーズ本編の完全新作だ。

3人の主人公と3つのゲームシステムを売りにしたこの作品、実際触れてみたがかなり面白い。特にクラフト要素のあるパペルネ編はもはや別ゲーレベルである。

レベルデザインも適切で、難易度は自由に変えられる上に、幅も広い。プレイアブルキャラクターに新キャラはいないが、新たな立ち絵とドットによって新鮮さを感じる。正しくシリーズの集大成と言えるだろう。

本作の詳しい内容と感想についてですが、それはまた別のお話...。ということで、クリア次第書いていくこととする。

 

 

さて、魔神少女シリーズの大まかな歴史を私の視点から思い出を交え語った訳だが、ここまで読んでくれた方がいるなら深く感謝を述べておく。思い出という名の情熱に任せた乱文になったことを重ねてお詫びする。そして願わくばもう少しお付き合い願いたい。

なぜこんなことをしでかしたのかと言うと、Tokyo sandboxなるイベントにブレイブダンジョン正義の意味発売当日にして開発のINSIDE SYSTEMが出展していたからである。若かりし頃の思い出だった魔神少女が、再び私の命の炎を燃やし始めたのだ。

そしてディレクターのNAN-A(ナナ)さんと直接お会いすることが出来たのだ。失礼極まりない言い方だが、今この私がここに立っている元凶になった人である。直接目の前で感謝を伝えられたことがこの上なく嬉しかった。

魔神少女は私がガキの頃に出会ったゲームで、おそらく小学六年生だったろうか。リリースされてすぐにダウンロードしたのを思い出す。本当に面白かったが、本当に難しくて発狂しながら攻略していた。と同時に私に二次元愛を叩き込み、現実の女性への無関心と恐怖を叩き込み、会社の先輩から「いい加減恋人作れ」と言われるようになってしまったくらいだ。獣耳性癖を確実に植え付けたのもこの作品だ。

確実にこのゲームは私の人格形成に非常に大きな影響を及ぼしており、且つ私という存在を形作る極めて重要な要素だ。このゲームがあったことでどれだけ心が支えられ、生きる希望を見失わずにいられたことか。

何度も自ら命を絶とうとしたが、続編が発表される度に、「やるまで死ねない」と思って踏みとどまった。新キャラやリファインされた旧作キャラ達を見る度に「どんな活躍をするんだろう」とワクワクして少しだけ希望が湧いてきた。生きることは辛かったが、彼女たちは常に私に人生という道において一歩を進む勇気と、暗い道を照らす灯火を与えてくれた。悪意の炎に囲まれた暗黒の道を歩んできたが、彼女たちがいてくれたおかげで私は今こうして太陽の威光溢れる世界にたどり着くことが出来た。

ただのゲームの一言では片付けられない。

魔神少女シリーズは確かに、3DS時代から駆け出した英雄的存在だ。しかし私にとってはそれ以上の、もはや救世主と読んでも差し支えないものだ。

この作品を生み出したNAN-Aさんと開発に携わった全ての方々に心からの感謝を込めて、終わりの言葉とする。

 

 

追記︰このシリーズなのだが、キャラクターの名前がティ、或いはディで終わるキャラが結構いる。

リティ、ルディ、パティ、マティ…。

これを聞いて全員明確に浮かんできた諸兄らは末期にして同志だ。一緒に腹を括ろう。