怒りと芸術

私は芸術に疎い。しかし芸術を愛している。

絵画、彫刻、音楽。私は古い時代のものが好きだ。現代でもそれに則した芸術があるが、それらは所詮かつての天才達の真似事に過ぎないが、その作品には無限の価値がある。

しかし私はやっぱり古い時代のものを見てしまう。あの頃は人間の歓声が鋭く磨かれていたので優れたものが極めて多い。

現代と比較してみればいかに現代の創作物が下賎なものかわかる。

ここから本題に入らさせて頂くが、すこし私の話をさせていただく。

 

ある時だ。怒りに我を忘れて殺気立っていた。少しでも気を紛らわすために部屋の片付けをしていたのだが、そのときたまたま手にした本にモネの『睡蓮』が載っていた。

私はそのとき初めて『睡蓮』を見たのだが、あの時の衝撃は今でも忘れられない。心の底から湧き出る怒りが全て感動に変わって行くのを感じていた。あまりの感動に何十分も眺めていた。

芸術は(恐らくだが)静かな心で見なければいけないのだろう。だからこんな鑑賞は邪道かもしれない。しかし心の荒みは芸術をよりよく見せてくれる。芸術には心を安らかにする力がある。

私はストレスが溜まったり苛立ちを感じている時は家の本で擬似的に絵画を鑑賞している。僅かな怒り等であればすっと引いていくのだ。

是非皆さんも試して見て欲しい。芸術の持つ力を自分の心で体感出来る。

最後に私は絵画なら『睡蓮』『最後の晩餐』が、彫刻なら『サモトラケのニケ』が音楽なら『美しく青きドナウ』が好きだ。こういうものを美しいと思える豊かな心を持ってこれからも生きていきたい。もし芸術に美しさを感じられなくなったらそれは私が人の形をした化け物に成り下がった時だ。