人間嫌いがハルウララを好きになった理由

私は自他共に認める人間嫌い。

自分を信用しないから、他人も信用しない。信用出来ない自分を信用する人間は信用出来ない。

結果だけがそこにあればよく、友達関係なんていう面倒なものは嫌い。利益の発生しない関係は要らない。

そういう人です。努力とか友情とかそういう前向きな言葉が大っ嫌いな私がなぜウマ娘ハルウララを好きになったのか。そこには私の生き方と対になる彼女の生き方がありました。

彼女は決して強いウマ娘では無い。それでも楽しんでレースに出ていた。次こそは1着になると本気で努力してレースでも手を抜かない。負けてもレースを楽しんでいた彼女を見て心惹かれた人は多い事だろう。

だが私はこれだけでは惹かれなかった。典型的な努力家キャラで終わっていた。

しかし彼女のストーリーで有馬記念が終わった時だ。馬場も距離も適正のないレースで当然彼女は惨敗してしまう。そして彼女は初めて泣いて悔しがった。その時に私は心が動いた。

「ああ、この娘は本当にレースが好きなんだ」と心から思った。絶対にURAを優勝させてあげたいと思った。私とは真逆の美しい心を持った優しい娘なんだと。

 

私は昔バスケをやっていた。やっていたと言うよりはやらされていたという方が近い。親戚の子供が入っているチームの人数が少ないからと無理やり加入させられた。

私はスポーツマンシップクソ喰らえのスポーツ嫌いだったのでやる気なんて起きなかったし、そんな状態で練習しても全然上手くならなかった。練習は最低限怒られない程度に手を抜いたし、試合もろくに動かなかった。それでも怒られないほどの弱小チームだった。

そんなある日、いつものように試合で負けて私は体育館の自販機でスポドリを買ってぼーっとしていた。すると、チームメイトの親が私を冷めた目で見ていた。その後には母親から「負けて悔しくないの?」と聞かれた私は「悔しいわけないだろ。やる気もないのに」と返すと「買って悔しくないのはいいが、負けて悔しくないのはおかしい」とだけ言った。私はその日から元々なかったやる気が完全に死んで練習も適当にやるようになった。周囲もそれを感じたのか誰も私を責めなくなった。なんとか引退まで続けたがよくしてもらっていたコーチからは引退式のあとに「B.B.はバスケ向いてないね」と言われた。

無理やりやらされて、やる気を出せと言われて、負けて悔しくないのはおかしいと言われ、最後の最後には向いてないとまで。腹が立った。嫌でも付き合ってやったのに罵倒されただけ。そのせいでスポーツが本当に嫌いだ。

ハルウララは自分の意思でレースに出て、常にやる気に溢れていて、いつしか本気になって自分で敗北の悔しさを知って、大きなレースで優勝してみせた。

こんな私が彼女を見ていると「私ももしかしたらこうなれたかもしれない」という愚かな幻想を抱いてしまう。もし、チームに入るとなった時に少しでもやる気になれたなら、少しでも上手くなろうと思って練習していたなら、試合で負けて悔しいと思えたなら。少しは良くなっていたかもしれないのに。

私は愚かだったからこんな道を選んでしまった。しかし彼女はまだ若く、そして純粋だ。そうであるならばトレーナーとして彼女を一人前にしてあげたい。私と同じ道を歩ませたくない。

私はいつの間にか彼女を好きになっていた。

彼女はいつでも明るく、努力家で、周りを笑顔にしてくれる。かつて私が憧れた自分に似た彼女を守りたくなってしまうのだ。