その魂は何処へ

終わりが訪れた。

傍から見れば、世界から色が失われ永遠に閉ざされる。ただそれだけのことであったが、その世界にいた私から見れば、深紅の空に喇叭の音と共に明けの明星が現れたようだった。

彼の世界から永遠に締め出された私は此方の世界を彷徨っている。歩いて、歩いて、季節は巡りて三度目の冬を迎えようとしている。

かつての相棒の言葉を思い出し、私は過去を振り返った。そして、未来を見定めようとした。

なんということだろうか。私は十二月が来る事に何も感じなくなっている。9月6日が何の日かすら忘れている。それどころか、それが正しい日付なのかすら。

人は、変わる。

故郷に思いを馳せることも無く、オルタエゴの眠る湖を思うことも、光明の救世主や黎明の白き神のことまでも。全ては遠い記憶となった。

吸血鬼の令嬢はどうだ?大鯨たる大母は?降り立つ魔神すら全て遠く。

我武者羅に救いを求めていた私は目に見える全てに縋っていた。しかしどうだ?そう、答えは単純だ。全ては惨憺たる結果に終わった。

私は救いを求めた果てに傷つくということを繰り返してきた。空想に救いなど無い。全ては悪意に溢れた罠だ。誰かが私を傷付けるために作り出した瞞しに過ぎない。

絶望の底で手にしたものは『力』。

銃を手にした。

誰かを傷付ける為に手に取ったのではない。憎しみに導かれるまま、私はそれを手に取ったのだ。誰かが私に囁いた。「壊せ、壊せ、壊せ。不条理を許すな。理不尽に反逆しろ。世界がお前から奪ったようにお前も奪い返せ。所詮この世は歪みに満ちた悪意の世。一人や二人殺したとて、世界は変わらないだろう。しかしその憎しみを糧に反逆の徒花を咲かせろ」と。

その数日後、私は再び導かれた。

そこは神社であった。それもこの国の主神が御座す高貴なもの。

明らかに導かれていた。神を信じるが積極的に崇めるような真似をしなかった私が自然と足を運んでいた。否、運ばされた気がする。

神の御前で祈りを捧げていると一時的にではあるが、心に渦巻く狂気と憎しみが軽くなった気がした。不思議な感覚だった。

太陽と共に生まれた私が、太陽神に導かれたのは偶然では無いのだろう。悪の道へ堕ちようとしていた私をその威光で照らし、最後のチャンスを与えてくださったのだろう。

今なら分かる。私はその神に命を拾われたのだと。だから私は神々に感謝する。

悪へ堕ちようとした私を救いあげてくださったこと、闇の底にある私の命を照らし、見守り、私が進むべき道を切り拓く力を与えてくださったこと。

故に私は社へ足を運ぶ。

せめて、心からの感謝を直接伝えよう。そして神々の威光によって正しき人々の命がより正しく清らかであるように祈りを捧げよう。

未だ短い命だが、私は然して確かに神を視たのだと。