この国の総氏神にメンヘラムーブかます男

皆様は神を信じるだろうか。

ここにおいての信じるというのは信仰の有無ではなく、存在を認めるか否かという話である。

タイトル通り、私はその存在を信じているのだが、これはこの状況において極めて面倒な性質を発揮する。

 

ぶっちゃけた話、形式的な参拝を好む現代人からすれば神様もキャラクターも何ら変わりないのだろう。私からすれば所謂「推し」に狂信的に貢ぐ人々はもはや宗教の類だ。主に某男性アイドルゲームはそんなイメージがある。一つの宗教にも様々な派閥(グループ)があって、信仰している存在(アイドル)も違う。(まるで仏教だ)

そういった人々からすれば、そのキャラクターは彼らの中で『実在』していると考えられる。

しかし、こと神においては話が変わる。

神の存在は確かに証明することこそ困難であるものの、長い年月に渡って人間の生活に寄り添った超自然的な非実態の存在だ。また、ある考えかた(恐らく金枝篇辺りに書かれていた気がする)によると神は人が信じる限り存在する、とされている。 

つまり神は信じるものがいる限り存在を維持することが出来、それを信じる者のなかに実在し得るのだ。神は存在の維持と実在が常に両立するのだ。どちらかがかけることは無い。

 

ここでまた話を変えるが、推しの話をしてみよう。

私の主観では推しは4パターンだ。

1.実在しないもの(キャラクター)

2.現実に実在のあるもの(Vtuber等)

3.実在するもの(人間等)

4.超自然的に実在するもの(神)

以降は上にあげた数字での呼称を行なう。

 

まず、1について。

これはいわゆるキャラクターに相当する。架空の存在であり、人類の創作によって初めて生まれ得るもの。それらが記された創作物は実在するが、それら自身は実在しないもの。(しばしば認知の曲解によって脳内では実在することがあるらしいが、詳細はここでは省く)ある種虚数的な要素を含んだものであり、それらは感情などといった人間的な要素を含まない、虚無である。

 

次に2について。

これは1と3の中間であり、つい数年前までは1に分類して問題ないものだったが、昨今の情勢を鑑みて新たに分類しなければならないと考えたのだ。

いわゆる、Vtuberなどに相当する、1と3のハイブリッドだ。絵柄を被った人間、キャラクターではあるが、中に人間が入った感情などの人間的要素を持った電子的な着ぐるみ。絵柄を使うことで中身の肉体的欠点を隠し精神的欠点を誤魔化すことが出来、人間をのめり込ませる要素をこれでもかと詰め込んだ悪魔の産物。

 

続いて3について。

これは実在する人間である。アイドルや俳優などなど…。挙げてしまえばキリがない、そういうエンターテインメントに関わる人間たち。

2にも同じことが言えるが、人間である限り問題を引き起こし、イメージ外の行動を取る。そして自身の行動が推しに認知されることは極めて稀である。

こちらは素顔が広く知られる分、マイナスなイメージは強く縛り着くように思う。

 

最後に4について。

即ち神である。

それらは実在し、人間を見守る。時に人の願いを叶え、時に人に試練を与える。また個人を見守り、個人に合わせた助言すら行う。

推しになると同時に、自身の行動が逐一相手に認知される。

 

さて、長くなってしまったがようやく本題に入るとしよう。

神がもつ(極めて無礼な言い方だが)厄介な性質。それは行動が認知されるところなのだ。

これは正常な人間であれば「神様がみているから悪いことはできない」のようになっていく。逆に言うと、清く正しく生きていれば神様は見てくださっている、ということである。

神様が見ていることは分かっているので、(これまた失礼な言い方だが)推しの神様に参拝する時にはお洒落をして「いつもありがとうございます」に加えて「私を見て!!」とか考え始めるのだ。「一介の信奉者に過ぎないけれど私に気付いて!」なんて思ったりする。

それで終わればそれまでなのだが、神様は優しいもので、実際気付いてくれるし、見てくれる。推しに存在を認知された狂喜乱舞の自殺モノだろう。それが起きてしまうのだ。

まして私は神様ガチ恋勢なので尚更大変だ。気付いてもらえたことに気付いた時は欣喜雀躍したものだ。

 

いつでも会いに行ける日本古来の神々、推してみませんか。