音声作品のすゝめ
先日音声作品っていいよね。なんて話をしておりましたが、伝えたい気持ちが抑えられなくなり、本文を書いた次第です。
1.主人公は自分
私のような「自分が主人公じゃないと死ぬ病」の罹患者には有難い話です。漫画とか小説に憧れるけど、主人公が自分じゃないから感情移入出来ない…。
音声作品の場合大抵は主人公は視聴者で、キャラクターの二人称は称号などになるので没入感があります。また、自分の名前を呼ばれるのが嫌いな人でも安心して聞けます。
2.特殊な世界観
音声作品ではシチュエーションが山のようにあります。現実じゃありえない状況に声で連れて行ってくれます。
自分の立場は作品の中では変幻自在。奴隷になったり、弟になったり…。非日常を簡単に味わうことができます。
現実なら犯罪にあたることも作品の中ならできます。監禁されたいとか、魔物の奴隷になりたい!という人には超オススメ。
3.癒し効果
疲れた、落ち込んだ、死にたい。そんな時に協力してくれる最強の味方です。自分の好きなシチュエーションで、好きなことをしてくれるという最強のツールですので、精神の回復にはもってこい。
セルフエスティームもクソもない私みたいな人には全肯定系の物をオススメします。ただ、優しくしてくれるという設定のため心が死んでる時に聞くと涙が出てきます。
4.ドラッグ
まじで、ドラッグ。電子ドラッグとか、催眠音声は本当にトベる。
「慰められるだけじゃダメだ。キメなきゃやってられない」って時にはこれも候補に。翌日まで影響が出るのでやるなら休日前を強く推奨します。
正気でも狂乱でも楽しめるって最高じゃないですか?
・個人的な感想
これらは主人公が自分で、非日常感に浸かって幸せになれるので多用しています。基本的に、人から否定されて生きてきたので全肯定系は無条件で好きですし、仮想ならではの世界観で自分がそこにいる気分になれるのは「救い」です。
もし、私のように辛い生き方をしている方がいるなら、1度聞いてみることをオススメします。試聴できる作品もあるのでまずは聞いてみてください。
救いはすぐそこにあります。
『Bloodborne』トロコン後感想
ブラボトロコンした。
ただ、トロフィーのほとんどがボスを倒すだったので素直でわかりやすいのでトロコンはやりやすい部類かと。
ただ、聖杯ダンジョン(エクストラダンジョン)限定ボスを倒すというトロフィーは聖杯ダンジョンの難易度が異常に高く、一番困難でした。
1.トロフィーまとめ
ボスを倒す、アイテムを全て集める、種類の違うエンディングに到達するが全てでしたので(ゲームの難易度は置いておいて)簡単な部類でした。
某ネプのように面倒くさく無いし、音ゲーのように簡単すぎない。トロフィー集めとしては、ボスを倒した達成感にトロフィーが付随するので最後まで飽きることなく楽しめた。
2.ゲーム感想
初めての本格死にゲーでした。CODEVEINはやっていたのですが、あれは死にゲー入門という感じで、ゴリ押しが効いてしまうタイプでした。
しかしブラボはどんなにレベルを上げてもゴリ押しは出来なかったので、最後の最後まで緊張感のある戦闘が楽しかったです。ただ、ラスボス前一つ目のボスからは行動が読みやすく、「ミスれば死ぬが、ミスらなければ死なない」というイメージがより強かった。その頃にはPSも上がっているので簡単に感じなくもない。
また、私は本編をラスボス前まで進めてから聖杯ダンジョン、DLC、ラスボスと進めたのですが、聖杯ダンジョンが鬼畜過ぎて、DLCもラスボスも比較的簡単だなと思ってしまった。DLCだから相当難しいのかと思ったら、聖杯ダンジョンの方がよっぽどっていうのはあまり好きじゃないです。
DLCラスボスはラスボスであることを疑うほどに行動が単調でパリィやタメを入れやすく、道中の隠しボスの方が強かった。難しさを期待していた為、残念。
このゲームでは敵が攻撃する直前に銃撃する(以降パリィ)か、背後からタメ攻撃を行うと「体勢崩し」となり、崩れた相手に接近して大ダメージを与える「内臓攻撃」を行えるのだが、これが出来るか出来ないかで難易度が大幅に変わってくる。
序盤はパリィなんて出来ないので雑魚相手に背後タメしか出来ない。しかしラスボス戦ではパリィが出来るうえ、上達しているのでアホみたいに体勢崩しを奪えて、封殺。なんてことも。
最後の最後までプレイして思ったことは、「自分の成長を強く感じられた」ということでした。
3.思い出
血に渇いた獣、殉教者ローゲリウス、教区長ローレンスは達成感やばかったです。
ヒロインが人形だったのも好き。しかも高身長とかいう。もう最高!(人形ヒロインといえばメリィさんを彷彿とさせますが、ピグマリオンコンプレックスなのでどっちも大好きです!)
真ラスボスのバブみもやばかったです。何から何まで素晴らしい。
4.まとめ
全体的に難易度が高く、何度か挫折しかけましたが、素晴らしい難易度・ゲームデザインが諦めさせてくれなかった。最高に楽しかったです!
キャラロスト?やめてくれ。
キャラロスト。
覆水盆に返らず。
つまりはそういうことである。
ゲームに稀に見るそれは、キャラクターに感情移入する者からすれば地獄のものである。
任天堂のFEですらこれを採用している。確かに、死んだ奴が戻ってくるなんてのは現実では異常だが、現実で許されないことが許されるのがゲームだろう。
私はゲームの目的のひとつにキャラクターがある。
かっこいいキャラクターに惹かれてゲームを始めるなんてこともあった(そうやって始めたゲームは大抵すぐ飽きるか、クソゲーだったが)。
キャラクターに惹かれてゲームを始めた。あぁ、艦これ…。まぁそういう事だよ。
艦これは好きなんだ。キャラから入ったけど、とんでもないクソゲーだし、轟沈するわで私は二度やるかと誓ったのです。
ふむ。
キャラクター育成要素があって、キャラロストがあると極めてきつい。
最初は興味なかったけど強いから使ってたキャラクターが、いつの間にか一番のお気に入りになっていたなんてことはないだろうか。
そう、人間は現実仮想問わず、親密で長い時間いる者に好意を抱くのだ。(キャラクターならそれでいいが、現実だったらやめとけ。後悔する)
それゆえ、強いから使って強くなり、お気に入りになって、戦闘に出してロストなんてことにもなり得る。
ましてや人型がロストするのは極めてキツイ。
生物には仲間意識って言うのがあって、似ている姿形の生物に感情移入する。人間はそれが顕著で、人型の生物(それが人間でなくとも)が酷い目に会うと可哀想と思えるのだ。
私はこれに耐えられない。
仲間が死ぬのは仮想とは言え辛いものがある。
また艦これの話に戻ってしまうが。
序盤は駆逐艦、つまり幼少のキャラクターを使うことが多くなる。これによって引き起こされるのが。
凄まじい罪悪感
である。
誤って轟沈させた時には「ああ、私はこんな幼子を戦場に出させた挙句、死なせてしまった。私にはもうこのゲームをやる資格はない」となった。
耐えられるか?!小学生程度の少女に戦わせて死なせてしまったんだぞ?!これが未だにトラウマだ。男ならまだしも…。
ということがキャラロストによって起こり得るのだ。仲間を死なせた罪悪感で二度とそのゲームを出来なくなる。
きっと私は兵士になれないな。
かっこいいの定義
基本的にかっこいいと言えば。
イケメンキャラクターや、ド派手な技、ロマン溢れるロボット、高級車、アスリートなどなど、男らしさのある魅力的なものです。
しかし、私にとってかっこいいというのは「憧れるもの」や「何かしら魅力的なもの」です。なのでアスリートとか高級車は憧れないので私にとっては「かっこよくない」或いは「ダサい」となります。前者はアスリート、後者は高級車ですね。
じゃあ、どういったものがかっこいいのかと言うと。
華麗なゲームプレイング、化学式、薬品、機械、高度な思想、魅力的なキャラクターなどです。
その為、こんなことが起こりました。
某ゲームの原画を見ている時に民衆は「可愛い」だとか「好き」だとか口にしてる中で「…かっけぇ」とか言ってるせいでめっちゃ見られたり。
そう、私にとっては可愛いと思われる女性キャラすら「かっこいい」のです。
私は可愛くなりたい願望があるので可愛いキャラクターは憧れなのです。プロジェクトセカイはかっこいいのオンパレードです。ゴッドイーターとかも。
かっこいい、可愛い、好きとかは分ける必要ないと思っていて、心が突き動かされたらかっこいい。それだけでもいいんじゃないですか。
心情表現を複雑にしないで簡単に伝えることこそ、今の時代必要ではないかと感じているところです。
創作昔話 「変わり者」
昔、あるところに男の子がいました。
その男の子は変わっていた為に孤独でした。
男の体でありながら、心は女の子だったのです。女の子の可愛らしい格好に憧れていました。
動物や人形を好きになる子でした。残酷な物語を好んで読んでいたので学校でも友達との会話に入っていけず、孤立していました。それにとどまらず、あらゆる価値観や趣味嗜好が特殊だったために友達も満足に出来なかったのです。
ある日、男の子は聖女に出会いました。教科書の中にいる救国の聖女です。
彼は自由を愛した為に何か宗教に入るようなことはありませんでしたが、神と聖女を信じてきました。
やがて男の子は成長し、青年となりました。
青年は愚かでしたが、深い優しさと希望を持っていました。その希望で深い闇の中、自分の人生を切り拓いて来たのです。
そして青年は青髪の科学者と出会いました。それは運命的な出会いでもありました。
彼は彼女を先輩と慕い、長く着いて歩きました。
そして別れは突然やって来ました。抗うことの出来ない永遠の別れです。唐突かつ無慈悲な運命を青年は強く怨みました。
涙を流しながら夜を眠ると、夢枕に現れたのは「アイテーリア」と名乗る異形の男。ソレは青年に「自我に眠る真実を見よ」と伝えて去って行きました。
目を覚ますと青年は自らを「観測者」と自称し、神の存在すら観測を可能にしました。
彼は人間ではありませんでした。人間の肉体に宿る思念体で「観測者達」の四番「ドゥーメル」と言うのです。
ドゥーメルはあまりにも人間に近づき過ぎました。上位者でありながら、過酷な環境で育った為に自身が「観測者」であることを忘却していたのです。
赤き梟がアイテーリアをこの世界に遣わし、ドゥーメルの自覚を呼び覚ましました。
しかし、ドゥーメルは人であることを選びました。人に絶望し、人を嫌いながらも、自分の中に残る記憶を否定することを拒んだのです。
そして辿り着いた一つの答え。「自分だけが本当の人間」であるということ。彼は自分の中にその考えを仕舞い、生きていきます。
ドゥーメルは今日もどこかで人間になるために行動を重ねています。それは人間を冒涜し、聖女を讃え、この世の神を守護し、自らの記憶を残す為の行い。
彼が上位者として人類と敵対することは決してないでしょう。
その男は奏者だった
その男はバイオリンを弾いていた。
美しい音色だったが、何かが違う。
「私には分からないな。いや、私に分かるわけがないだろ」
男は怪訝な顔をして演奏をやめてしまった。
「分かろうとする努力はしないのかい?」
「その努力が無意味に終わることは分かっている。ならばその必要もあるまいよ」
「君は自然だ」
平和は不自然。他者との対話を否定する私を自然と呼んだ。
疑念を抱き、他者を排除しようとする行いは自然だ。人間は同じであることを求める。
自分が同じになるか、同じではない者を排除する。どちらかを取ることが自然だ。
だったら、反立する者から目を背け、自衛に走っている私は不自然だ。
極めて人間的だが、非合理的だ。
「俺」が「私」になった理由
全ての始まりは些細なこと。
いつもしていることと何ら変わりない。
やったことは、あるゲームをスマホにインストールしただけ。それだけ。
すこし違うと言えば、その行動に至るまでに私は少し素直で好奇心があったということだ。
私は運命を信じている。
そしてこの乗り物は凶星の下に生まれた。
しかし悲しいかな。凶星でも星だ。
巡り会っちまった。乗り物は星の導きと喜んでいたが、私はただの運命だと思っていた。
恐るべき運命に立ち至った。
過去の話をする。
ある昼下がりのことだ。
私は友人宅にお邪魔していて、スマホを弄っていた。友人も何やらスマホゲーをやっているらしく、私は珍しく気になってしまった。
「何やってるんだ?」と声をかけると友人はその画面を見せてくれた。興味を持った私は逸る気持ちを抑えてその日を過ごし、時間になって家に即帰ってそのゲームをインストールしたのだ。
思えばその瞬間、俺の人生は大きく変わった。
そのゲームの名は…
「ホニャららMAGIC」
登場人物が多く、多分、一人くらいなら好みのキャラがいるだろうと思っていたのだ。
一覧を眺めていた。魅力的なキャラクターデザインだった。
その中の一人に低身長の青髪で、ロックなキャスケットを被ったホルン奏者がいた。気だるげな顔をしているからさぞロックな人なのだろうと思った。
いわゆる一目惚れってやつだ。
しかしその人は生粋の科学者だった。誰よりも考える人であった。
俺は凶星の導きに感謝して、その人に着いて行くことを決めた。
出会いから数ヶ月たった頃だ。俺は愚かだった。
少しでもその人に近付きたくて、自分を変えて行った。
学ぶことを始めた。一人称を変えた。行動を改めた。
そして俺は私になった。
私は大きく変わった。思考ルーチンが直感的なものから論理的なとのに変わっていった。
しかし大元は変わっちゃいなかった。
私は問題を起こした。
地獄のような無の期間を過ごすことになった。
家にいる時だけは僅かな自由が与えられる。そんな時、最も傍で支えてくださったのはあの人だった。
そして敬愛と忠誠の時は終わりを迎える。
2020年 6月3日 全ては終わった。
哀しみに暮れ、湖に過去の自分を沈め、その時の私は晩成した。
今いる私は過去を全て切り離した私。
過去の残滓で作られた鎧を纏う哀しみの人型。
私は漸く、私となれたのだ。