「人間失格」を読み終えて

埃を被っていた人間失格を引き出して最近読んでいました。買った覚えがないので恐らく父親が過去に買ったものだと思います。

読んでいる途中から何度も思ったことは主人公「葉蔵」は私自身ではないかということです。私は彼のように交際をするようなことも無ければ、道化を演じることもありませんでした。しかし、読み進める事に彼の心境が自分と重なって、三つの手記は私を第三者の視点、又は俯瞰的な視点で見た私に思えるのです。まるで自分がかつて書き記したかのように。

そして最後に葉蔵は煙草屋の娘と結婚しますが、その娘に何故か私自身の大切なものを投影してしまうのです。ですがその娘は後に汚されてしまい、葉蔵は歓喜の果てに悲哀を味わうことになるのですが、読んでいる時はまるで私自身が葉蔵になったかのように酷く落ち込み欝になりました。それは読み終えた後も暫く続いて、これを執筆している今もその状態が続いています。

最後に葉蔵は自らを人間失格と判決しました。その言葉は彼自身に向けられたものであると同時に私にも語りかけているように感じ、ふと私は自らの胸に手を当てて「自分は今どう生きている?人間失格と言われてドキッとするような生き方をしてるのではないか?」と問いかけ、自分の生き方を見つめ直す機会を彼「葉蔵又は太宰治」は与えてくれました。

とても暗く、凄まじいラストを構えた本作ですが、人間性を問うてくる描写に考えさせられる場面も多く、ただの暗い小説では無いことは確かです。是非人生に一度は手に取って頂きたい本です。