名の有る物、集合の個

人は往々にして過ちを犯す生き物だが、私も人の形をとって生活している以上、人に似てきてしまうようで。私も人間のらしい過ちを。

誰もが思う。「何故あのようなことを」と。私も見た目上は人の部類であるゆえそのような思いを今抱えている。

私のターニングポイント、『収穫の十二月』は思い出補正のお陰で今でも好きな作品だが、主人公の名前がある。名を「紺野征樹」というのだが。

それの何が楽しい?ラブコメを楽しめない私は主人公に名前のある作品が楽しめない。上手くいくように設計された恋愛を、自分のものでもないのにどうして楽しめと言うのか。(自分のものだったとしても嫌なのだが)

そもそも、人が恋愛しているさまを見て何が楽しいのか理解できない。バチェラーやチーターズのようにドロドロの恋愛を傍から眺めるのは愉快な所があるが、ヒロインに囲まれた何処の馬の骨とも知れぬ男の話の何が面白いのか。

私は裏切られたので名前のある主人公が嫌いだ。キャラクターが良いと思って釣られてみれば、何処ぞの男と恋愛し、体を重ねる。私は誰かの人を奪う趣味はないので二度と見ないことにしたが…。不愉快極まりない。

好みの異性か同性が、見知らぬ誰かと付き合っていたら嫌な気分にもなるだろう。そしてその好みの人が甘い声で見知らぬ誰かの名を呼ぶ。これ程身の毛がよだつことがあるだろうか。いや、あるわけが無い。あっていいはずがないのだが、ある。(シンプルに恋愛戦争に負けるより恐ろしいことは山ほどあるから)

このような作品が蔓延るおかげで私はオタクから脱却できたのだから、いいのか悪いのか。九重もこれが嫌いで助かった。ヤツがこういうのを見ている時に私になったら端末やらを破壊してしまうだろうから。

兎も角、名前のある主人公はギルティだ。この宇宙の偉大なる法則を以て存在を認めてはならない。誰も喜ばないし、それを作るために使われる紙や電力の無駄だ。

CODEVEINのようにキャラクターが主人公を常に二人称で呼べば済む話なのに、何故か悠太とか征樹とかクソみたいにダサい名前を付ける。(私は男ながら、女に使える名前をしているのでどの作品を探しても私は呼ばれない)

名有り主人公は即刻捕縛して処刑せよ。無の無へと返してやるのだ。これが冒険活劇なら文句は言わないのだが。

 

 

さて、ここからは話題を帰る。タイトルにあった「集合の個」だ。是非ともお付き合い願いたい。

Vtuberといえば、若い人であれば伝わるのではないだろうか。声のいい女性か、醜悪な男が中身になって「2D or not 2D」のモデルで喋ったりする。ゲームをしたり、配信をしたり。

私も若き人間としてこういったものに関心を持たないことは無い。つい最近、私も一人素敵なVtuberを見つけた。世界観がいいので色々見てみた。口が曲がっても面白いとは言えないが、クソでは無い。(Twitterのフォロー一覧でわかるかもしれないが、探ることはしないで頂けるとありがたい)

各々様々な活動をしているらしく、暇つぶしに動画を見るのはいい娯楽だ。近々その人の配信があるらしいので、私も是非とも参加したいところなのだが…。少々厄介な問題がある。それは。

チャットである。

確かに面白い人のところには人が集まる。そして声をあげる者あり。それが掛け声や叫びならいい。実際、私が行っていたライブハウスでのライブは各々声を出していたし、私もその一人だ。ロックはいいぞ。

だが、Vtuberのチャットはキモイのだ。私は配信者を見に来たのであって、その観客を見に来たのではない。観客の聞きたくもない声が字幕化され、画面の隅に出てくるのが耐えられない。「可愛い」とか「尊い」とか言う馬鹿みたいな上っ面の褒め言葉が山のように飛んでくるのだ。しかもそれを打っているのが若い男女であれば私は認めたいのだが、大抵は醜い男なのだから許し難い。

例えば、数人で集まって話をしていたとする。そのうちの一人が醜い男で、キモい発言をしていたら「煩い、喋るな」と言うだろう?少なくとも私はそうしてきた。

こういう風にも例えられる。とあるライブに来た。(ここではキャラクターライブとする)自分の好きなキャラクターを演じる声優が歌っている横で醜い男が叫んだりキモイことを言っているのだ。黙らせるだろう?少なくとも私はそうしてきた。

嫌なら見るなと言われるだろうが、私は配信者を見に行きたいのだ。「観客がキモイ」と訴えて「じゃあ帰れ」と指示する運営者はそういるまい。

平沢進氏のライブのチャットは楽しい。皆、良識があって考えてコメントしているからだ。しかしVtuberを見に来る者の殆どが、脳の腐りきった低脳醜悪男な為、チャットがゴミになる。

このパラドクスを抱えているが、私は是非とも配信に行こうと思う。ダメなら逃げればいい。逃げ道は誰にでも用意されている。必要なのはその道を行く勇気だけ。

私は挑戦する。逃げ道を用意するのは弱いと言われるかもしれないが、人間は元々弱いのだから別に構わないだろう?読者の方も何か挑戦する時は逃げ道を用意するといい。それだけで心構えは大きく変わる。

私の決意のお話でした。