Someone told me to live

私達は生きる。生きるということは誰かが生きることを望んだ未来を生きるということ。だから私達は自分の命に責任を取らなければならない。そう考えるとただ無為に生きる事を否定することは出来ない。だが、そうしなければ私の邪な思いで未来へ生きようとする悲しき自分を擁護できない。

生きている今は誰かの変わりに生きている。だからこそ、私の尊敬するマッドハッターは「何でもない日おめでとう」というのかもしれない。

タイトルの意味は「誰かが生きろと言った」です。私は今、伝染病が蔓延している中「病に負けたくない」という理由で生きようとしているのではなく、「楽しみにしているものがある」という低俗な理由で生きています。

私と同じような思いで生きている人は日本に沢山いると思いますが、病と戦い必死に生きようとしている人がいる中でこのような思いは人に見せられない恥ずかしいものです。しかし私も人の形をとっている故に欲望に勝つことはできません。

現金給付もあるかと思いますが、舞い上がってはいけません。こういう時は慎ましく、人間らしく生きていくべきです。人なのですから、理性を働きかけることができるのです。多くの人々にテンペランス精神が宿ることをお祈りしています。