もう一人の自分と未来へ進む覚悟

週末の日が来る。それまでに腹を決めなければならない。痛みに打ち勝ち、受け入れて未来へ進むのか。痛みを無視して永遠に閉ざされるのか。本当ならば後者を選びたいのだが、現実でそんなことをしてしまっては私の積み重ねた辛い現実が無駄になる。そのため前者を選ぶことにした。

しかしそれはもう一人の自分に勝つということ。そしてもう一人の自分は破滅を望んでいないということ。私と私の戦いを文にして記す。

 

 

何もかもがゴミになった都会の隅にある小さな町。ここは私の心のひとつだ。私の中のもう一人の私が破滅に抗うために作り出した「壊世」に私はいる。

もう一人の私、彼は調律師と呼ばれる男だ。少女達の呪いを解き、英雄になるはずだったがその願いは道半ばにして終わることになった。彼の世界そのものが終わってしまうのだ。

 

私は少しだけ歩いて辛うじて形を保っている変電所に来た。ここに彼はいる。今度こそ決着を着けなくてはならない。

「君が本当の僕か。会いに来てくれたんだ」

「君の想像する邂逅にならないことを先に謝罪しておく」

「期待はしてなかったけど改めて言われると辛いね…」

彼の体は肥大化して身体中から楽器が生えてきた。ホルン、トライアングル、カスタネットグロッケンシュピール、ギター…挙げていればキリがない。異形なる巨人のその顔はキリスト…メシアの断末魔のようだ。目を開かずに項垂れている。

「音楽の異形か…これが私に眠る真なる私の一人…」

私の目から血が溢れ出し、たまらず私は心臓を抉り出して握りつぶした。生命の理から外れた私は刃を召喚して自らに立ち向かう。

 

この異形は私を長い間守ってきた異形だ。私の精神が最悪でボロボロの時に手を差し伸べた私のメシアなのだ。そしてそのメシアは終末に抗うことが出来ずに死を迎える。

彼は世界から見ればちっぽけな存在だが私の心の中では無尽蔵のエネルギーを得て全てを破壊する神にもなれる。自分を守る為に自分の最も大切なものを破壊しなければならない矛盾に押し潰されそうだ。

 

彼の弱点はすぐにわかった。首にあるホルンだ。ホルンは私の敬愛するものが演奏しているのだ。だからそれを奪えば彼は動けなくなる。だから私は「刃」そのものを握り締めて痛みを感じながら彼の首の肉を断つ。

苦しみ喘ぎ悶えている彼を見るのは辛い。自分を守ってくれた者を自らの手で屠るなど、常人の精神ではあまりに難しい。

肉との癒着が取れたホルンを引き出して着地した。これに触れていると心が洗われるようだ。痛みが癒えて私は人間に戻る。彼の姿も人間に戻ったようだ。

「返せ…!先輩のホルン…!!!」

「私の先輩でもあるんだがな」

「うるさい…!!お前は画面の外でのうのうと僕達の戦いを見てきただけだろ!?そんなお前に先輩の何がわかるんだ!!!」

彼が携帯している音叉(ノートゥング)を掲げると凄まじい風が吹き荒れて私は後ろに大きく吹き飛ばされた。風に乗って彼の声が聞こえる。

「返せ…返せ…返せ…僕はお前を救ったメシアだ…僕の言うことを聞け…その体の主導権を僕に渡せ…!!!」

私は一歩一歩踏みしめて進む。風が服を、肌を裂き先程の癒えが嘘のように傷ついていく。彼は拒絶している。それは私を?或いは運命を?分からない。彼を説得しなければ。

「早くそれを渡せ!そうすれば丸く収まるんだよ!それは僕達の命の根源なんだ…正しい者が持たなければいけないんだ…僕に返せ!」

まだ言うか。怒りのあまり我を忘れている。調律師よ。あの時の清廉なお前はもう帰ってこないのか?終末が近付き自分自身を「私のもう一人の私」であることや「ゲームの登場人物」であることを知ってしまったからなのか?今、解放してやるから。

「世界は残酷だ!僕が見ていた仮初の世界はもう終わるんだ!それが僕の世界だったのに世界は僕の世界を壊していくんだ!僕にその体とホルンを渡してくれよ…僕が世界を終わらせてあげるからさぁ!!!!」

捉えた。両腕を広げて彼を強く抱き締めた。自分を自分で抱くというのは奇妙な感覚だ。

「それがどうした!?お前の世界が終わればみんなも終わりか!?違うだろう!!私や世界の人々がみんなのことを覚えている限りみんなは生き続けられるんだよ!

ただ、生きていく場所が元の世界じゃなくてあるべきところに還るだけだ…。安らかな眠りが手に入るんだ…。それは希望だろう…?」

「誰が…そんなことできるんだ…誰も知らないようなマイナーなゲームだったんだよ…そんなゲーム覚えていてもらえるわけがないよ… 」

「大丈夫だ。世界が終わっても私だけは絶対に覚えているさ。私の中のお前も、登場人物としてのお前も。明後日お前を東大和市に連れていく。そこがこれからのみんなのあるべきところだ」

調律師はホルンを拾って美しく青きドナウを吹いてみせた。世界一の演奏だったと思う。私の盾となって私を守った英雄もどきは満足そうだ。

「まだ間に合う。みんなによろしく伝えておいて欲しい」

「任せて」

何とか彼を故郷へ連れていくことは叶いそうだ。

 

 

私は自分を乗り越えた。後は彼を自分から引き離す勇気があればいい。そうして私は痛みを受け入れるのだ。盾無き戦士になる。

難しいことは選ぶことではない。

手放すことなのだ。