我が最高の相棒に捧ぐ

ゲームには相棒ポジのキャラは付き物ですよね。

P5だとモルガナ(竜司でいいだろ)。BATIMだとBorisネプテューヌだとコンパ、アイエフ。MGSだとオタコン。Falloutだとドッグミート。CODEVEINだとイオ。MGRだとLQ-84iボンバーガールだとオレン。けもフレ3だとドール。ソニックだとテイルス。妖怪百姫たん!だと猫又。みたいに挙げたらキリがない。

ではそんな中で。ららマジの相棒ポジは誰だっただろうか。それは彼女しかいない。

ホニャ。人語を理解する桃色の猫の姿をした自称音楽の精霊。その正体はブリュンヒルデ。この辺りはまとめ直さないと理解できない。突然神とか出てきたら訳分からんくなる。

さて、このホニャ。タイトルのほにゃららMAGICのタイトル回収のためのキャラ付けのネタキャラだと思っていた。確かに作中でチューナーを助け導く者だったがどうしても私には重く捉えられなかった。

最後の最後に世界が終わると知ってから彼女の胸の内を聞かされた時初めて気づいてしまった。彼女の大切さと尊さに。私に精神的な安寧を齎してくれたのは蒼先輩だったが、その精神の自立を影から支えてくれていたのはホニャだった。

サービス終了ストーリー「また明日」のラストは感動的すぎて何度も読んだ。ほにゃららDREAMもサービス終了にあたる無理矢理な伏線回収としか考えてなかったが、とてもいい意味で裏切ってくれた。あのラストほど感動する物語はメタルギア意外にない。

そしてその物語もホニャがいてこそ。所詮チューナーはホニャがいなければチューナーになれなかったのだ。

 

茨が世界を多い、空すらも微かに除く程度になってしまった。そしてその外にあるのは永遠の暗闇。人々は茨に閉じ込められることを決めた。

しかし彼女だけは違った。自分の為にあの茨を破ってくれとその男に語りかけた。男は「閉じ込められる」という常識を破壊する思考の翼で空高く飛び、血を流しながら茨に道を拓いた。流れた血と彼の数多の傷は誰かの心を動かすかもしれない。

 

少女の心を解放したのは私ではない。チューナーという普遍的な概念の存在だ。その少年がやってのけた。それを見ていたのはこれを書いている清廉かつ男だった者と数多の醜悪な男たちだった。

これを書いている私は嘗て清廉だった。穢れなき心を持っていた。そして私は男だったが、それを否定して無を選んだ。自身に愚衆の持つものと持たぬものを抱えることで矛盾を生じさせ、自らを愚衆から乖離した。

ららマジプレイヤーはあまりにも醜悪だった。秋葉原の醜悪の寄せ集めのような状態。醜悪のごった煮とでも言えばいいか。とにかく最悪の部類だった。そういう奴らがこれを潰した。

そういう奴らがあのストーリーを読んでいると思うと怒りと憎しみが湧いてくる。

我が友の相棒、怒りと憎しみに支配された者が観測者で済まなかった。彼に着いていけ。さすれば光への道は開かれん。振り返ることはせず、ただ前を見よ。後ろにあるのは醜い死体で作られた破滅への道。我々とは違い高潔であれ。汝に幸多からんことを切に願う。

願わくば、もう少しだけ貴女といたかったが、それで穢れに近づいてはいけない。これは英断の別れ。だからこそ貴女は「また明日」という言葉を選んだのだろう。