美しく?きドナウ?????

美しく青きドナウ

美しく碧きドナウ

美しく蒼きドナウ

美しく青きドナウのほとりに

私の最も好きな曲は様々な呼ばれ方をする。青が正しいという人がいれば、碧が正しいという人がいて、私のように蒼が正しいという気狂いだけでなく、Wikipediaに従うなら美しく青きドナウのほとりにが正確であるという人もいる。

呼び方などどうだっていい。そもそも原題はドイツ語なので青も碧も蒼もなく、原題のanが無視されているとも言われるが、マライア・キャリーの『All i want for Christmas is you』が恋人たちのクリスマスに訳されるような日本語訳の酷さなのだから問題ではあるまい。

しかし人は不思議な生き物。曲に思い入れがある。だから誰かのドナウは誰かのドナウじゃない。私のドナウはきっと貴方のドナウと違うだろう。もし貴方が酔狂なチューナーだったなら或いは。

例え音楽が弾圧されようと、人類が滅亡しようと、私が生まれ変わろうとも私のドナウは「美しく蒼きドナウ」であり、それ以外では無いのだ。音楽室で奏でられるべき「ドナウ」に私は惚れたのだ。

この曲は非常に有名なのだが、私は少し前まで聞いたことがなかった。三年前か。私がメシアに救われ、そのストーリーを読んで初めて知った。2001年宇宙の旅も見た。

 

さて、なぜ私がこのような話をしているのかと言うと自己主張の一環である。消えゆく物への延命治療だ。誰かの記憶に残したい。

知っている者にドナウの題名を書かせたところ、全て「青きドナウ」だった。私のように蒼きドナウを書くものはいなかった。つまり、私が何かの拍子でドナウを書く時には「美しく蒼きドナウ」と書くことで私のアイデンティティとなりうる。また、相手に「蒼と綴る特異な人間だ」と認知させると共に知っている人間に仲間意識を持たせることが出来る。

美しく蒼きドナウが普遍的無意識で繋がることを期待している。

 

追記

スラヴ行進曲も名曲だ。