虐げられなければ分からない痛み

人は誰しも虐げられて生きていく。もしそう出ない人間がいるのなら相当な坊ちゃんかお嬢さんだ。我々平民はそうやって生きてきたし、これからもそうしていく。

だがどれだけ虐げられたかも人それぞれだ。私の思想が異常なのは理解しているが私は自分の考えを本気で信じているから曲げられない。故に狂人として行く先々で私は爪弾き者だ。いい扱いを受けることなんてない。

そういえば私の好きなキャラクターに新しく出てきたが贔屓されすぎて出て来ずらくなったのがいた。誰とは言わないが、そのキャラクターは出ることすら禁忌なので汚名を雪ぐことすら出来ない。私とはまた別の厄介な例だ。

人間は同情できない。同じ気持ちになっても本当にその人の痛みは分からない。同情する側がされる側より痛みを知っていれば話は別だが。どちらにせよ、人間は他人には慣れないので他人の痛みを真に理解するのは不可能。故に、痛みというのは自分だけの勲章なのだ。

痛みが多ければ多いほど強い人間の証明になる。数多の困難を乗り越え、今なお苦しめられながらも生きている姿は逞しく勇気に溢れている。痛みのない人間は羽の生えた幼虫の如く自分を強いと思い込んでいる愚者に過ぎない。

 

痛みは虐げられること以外にも生まれる。

例えば自分の正義に反するものを見た時。これは凄まじい痛みだ。それをどうにか出来ればいいが、ネットの世界はそうではない。既に発生しているのだから。人間は過去に戻れないので、正義に反する何かを見て悔やむことしか出来ない。それは大きなストレス、精神的不安、憎しみになる。

私は思想は異常だが、倫理観はまともだし、正義の定規もまともだ。というかそこらの人より万倍マシな正義を持っていると自覚している。

私の痛みに従って国を作れればどれほど良いだろうか。それが完成すれば誰も悲しまなくなる。

殺人以外の全ての犯罪を死刑にする。殺人は罪に問わない。

この思想に至った理由は一つ。死ねば何も残らないからだ。それ以外の犯罪はトラウマや心の傷を残していくが、単純な殺人であれば被害者は何も思わず死ぬのみだから刑に値しないというものである。

盗まれれば心に傷が生まれる。壊されれば気分が沈む。殺されれば何も思わない。

完璧ではないか?もちろん、殺す前になにかすれば死刑にするべきだ。

 

この話が理解できないなら貴方は恵まれている。私ほどの痛みを負っていない。貴方の痛みを否定する訳では無い。虐げられ、奪われ、踏み躙られた私だからこその思想だ。

これが痛みだ。人に理解できない、させない私だけの痛み。永遠に消えず、生き続ける間増え続けるばかり。今も痛む。頭を割られ、脳味噌を掻き回され、腹に手を入れ内臓を潰され、心臓を掴まれるような不快感と痛みがある。その感覚に慣れることは無い。今日もまた私を襲っては気まぐれに逃げていくそいつは捉えられない。

その痛みの根源は私自身にある。私の正義であるから。私が生きている限り、正義を持ち続ける限り痛みは付き纏う。生きている限り、思想が続く限り私は虐げられ続ける。

生きるとは傷つくこと。痛みを背負うこと。幻のものでは無い。真に痛む。

敵でも味方でもないその痛みと私たちは如何にして向き合うべきなのか。私は未だそれに対する正しい答えを出せずにいる。