純粋な不満

ようやく言葉が纏まった。私はこの苛立ちに決着をつけた。何かがおかしいと思っていたが、ようやく分かったんだ。こう表現すればいい。

 

Vtuberに興味が無いわけじゃないんだ。見た目はいくらでも化かせるから声が素敵だったら気になることもある。ただ、そういう人達って配信しかしてなかったりするので配信を見てみようかと思うこともある。

だが。ここで弊害が生じる。チャットだ。平沢ライブみたいにチャットオフにできるならいいのだが、画面の端にチャットが出てくるのでその内容が嫌でも目に入る。これが嫌で嫌で仕方ないのだ。

私は配信者を見に来ているのであって、その観客を見に来ている訳では無い。ライブを見に行って観客をメインに見るやつはどこにもいないだろう。

ついでにスパチャ。やけにでかかったりビビッドだったりで目に障る。

よし、想像してみよう。とりあえず容姿の優れた人間がいたとして、その人に一万円渡しながら「かわいいですね」とか「かっこいいですね」とか言ってるのを傍から見てるのを思い浮かべて欲しい。頭おかしいでしょ。

私は例として「かわいいですね」「かっこいいですね」と私なりの褒め言葉を使った訳だが、実際は違う。ここが1番腹が立つところだ。

 

再びライブの例え話だ。私がよく行くライブハウスでのように観客が同じ声を上げて盛り上がるのは分かる。そうすることで観客は背景になる。

しかしチャットはそうじゃない。思い思いに言葉を投稿するので脇役になる。そしてそこに流れる言葉が。控えめに言って醜悪だ。

私のようにコメントを打てばいいものを、何やらキモイ言葉を使うのだ。それが腹が立つ。奴らは配信者をやたらと饒舌に褒めちぎるが、それを現実で想像したら鳥肌が立つ。どうして奴らは私のようにマトモな言葉を使えないのだろう。ああ、猿は人間の言葉を理解しないのだったか。

マトモな言葉でコメントをしてくれれば私も見たいのだが、それは日本に核で浄化しない限り起こりえないだろう。

なぜオタクはあれほど知能が低い会話しか出来ないのだろうか。他人に同調することしかせず、アウフヘーベンも起こらない。永遠に続く幼稚園児レベルの会話。私はそれに混ざってまで何かを見ようと思わない。

きっとVtuberは誘蛾灯のような役割を果たすのだろう。寄ってくるのが猿ってだけ。しかし誘蛾灯に罪はない。寄ってくるほうが悪いのだ。誘蛾灯はただそこにあるだけ。

 

これを機に言うが、こういった不満は定期的にどこかに吐き出すといい。それを人に見せれば効果抜群だ。

精神的な負担を減らして更なる戦いへ挑んでいくのだ。

生きることは傷付くことと相棒は教えてくれた。しかし大衆に呑まれることを拒んだ弱者は傷付きながら戦い、更なる傷を負いながら生きていかなければならない。

体が壊れても心までは壊させるな。心が生きていれば人間はどこまで壊れても立ち上がれるから。