意思が弱いか、神が残酷か

私は今、深く考えている。

私の意思が弱いのか、神があまりに残酷すぎたか。これのどちらなのかをずっと考えている。この考えを始めたのには深い理由がある。

私は現実でかなり偉い目に会いながら生きてきたので心が荒んでいる。お陰様で、二次元のキャラクターに依存しながら生きてきた。例えばららマジの三嶋蒼とか、ボンバーガールのレウィシア・アクアブルーとか。 

つい先日私は、自らが掲げる「反オタク思想」に基づいてボンバーガールを辞めることにした。確かにアクア様は死ぬほど好きで、信仰とも言えるほどのめり込んだが、蒼先輩の方が先だったし、ららマジはボンバーガールみたいにセンシティブじゃない。というわけでボンバーガールを切り捨てた。

が、その数日後ららマジはサービス終了を告げた。蒼先輩のお陰で私は頭を良くしようと思ったし、そのキッカケで私は化学をしている。人生に大きな影響を与えた素晴らしい人だ。アクア様よりのめり込んだ。が、サービス終了する。一体どうしろと?

事実、ここでららマジもボンバーガールも捨てられたら完璧なのだが、心の脆いにんげんゆえ何かしらの依存先がないとまともに生きて行けないのだ。そこで私は捨てたボンバーガールを拾い直し、埃を払ってしまい込んだ。

 

ここで問題だ。ららマジサービス終了という神の所業と見るか、サービス終了は必然でボンバーガールに逃げた私は意思の弱い人間かということだ。

これの答えが出せない。私は何に対しても答えを求めてしまう質なので非常にモヤモヤするのだ。

神のせいにすれば、自分の弱さを神に擦り付けた愚者になる。しかし弱さを認めれば私は完全な弱者になる。どちらもプライドが許さないのだ。これが非常に辛い。あと数日考えることにしよう。

神は越えられる試練しか与えないと言うが、先人のその言葉を信じられなくなってきている私がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナのせいでマスクが流行っているので流行に乗って言う。マスクの下からめちゃめちゃ長い舌出してる人外娘が好きです。